1.児島湖ができた訳

戦国時代から江戸にかけて始まった大規模な干拓工事が明治、大正、昭和と進むにつれ、干拓地の農業用水不足が顕著になりました。
昭和30年には高梁川流域の農業用水供給の為、小阪部川ダムが完成しましたが、干拓地の農業用水までの十分な救済は望めませんでした。
このため、干拓地の用水不足を解決する抜本的な対策として計画されたのが児島湾を締め切り、締め切った堤防により海水を遮断、農地への高潮、塩害の被害を防ぐとともに、締め切った内水面を淡水湖化して新旧干拓地に農業用水を供給する計画です。この締め切り堤防(1959年)の完成により児島湾の一部が児島湖となりました。
平成18年、岡山市立藤田公民館が主催している公開講座「農業用水から考える藤田の歴史」の場において、締切り堤防完成当時を知る干拓地入植者の女性は「高潮や台風が来ると、何時水に襲われるかと不安で眠る事が出来なかった。締切り堤防が完成してやっと枕を高くして眠る事ができました」と当時の思い出を語っておられたのが大変印象的でした。

2.児島湖の諸元

誕生
湖面積
総貯水量
有効貯水量
計画水位
:1959年(昭和34年)
:1,088ha
:2,607万m
:1,773万m
:夏季(6月〜9月) AP(+)0.80m
:冬季(10月〜5月) AP(+)0.50m 
※AP:岡山県飽浦量水標の零位の略称で、児島湾締切工事の際の基本水準面であり、東京湾平均水面より(−)1.333m

計画洪水位
流域面積
流域内人口
流入河川
:AP(+)2.89m
:544km2(岡山県総面積の約8%に相当)
:64.1万人(岡山県総人口の約32%に相当:H16末時点)
:笹ヶ瀬川、足守川、倉敷川、加茂川
  (諸元出典:児島湖ハンドブック H18年版 岡山県)